オーストラリアワーホリを終えての感想と帰国後の進路、就職とかetc

さて、このワーホリブログの移行を徐々にして、このブログの最後の締め、ワーホリを終えてとかのそのたぐいの記事を書く事をすっかり忘れていました。

もう帰国から5年の歳月が過ぎていながら

この事を書いていないということに気づきました

だからつらつらと書いていきます!

(今さらかい!)

ワーホリっていくべきか?というべき論の視点で見たワーホリ

まぁ、いかない  べき

でしょうね。

べき論とかであれば。

なぜか?

  • 結局はただの空白というブランクになる
  • 結局遊んできたんでしょ?という偏見という色眼鏡越しに見られる
  • 面接では全くそれらがプラスにならない
  • ぷらすになるとすれば、どのような資格を取ってきたかが人事の人たちの興味のあるポイントになる
  • 英語力がビジネス英会話レベルでないなら正直どうでもいい

というのが帰国後に渋谷のヒカリエ内にある人材派遣会社に登録してきた時の面接での感じたことです。

特に英語ができない人が英語ができるかどうかをはかるというなんとも日本らしい矛盾がまかり通っているこの国ではやはりTOEIC800点台がないと正直言って海外の経験は重視されません。というか海外生活の経験は希に重視しているという求人がありますが海外に飛ばされます。おそらく

結局は会社に行くなら機能するパーツかどうかを見るのでここらへんはどうでもいいです。

あとは正直な話、ワーホリをキャリアチェンジに使うと失敗するということですね。

僕の場合は、発達障害でもあるのかわかりませんが、正直言って仕事を転々としています。一年続いた仕事は日本ではないです。

唯一続いたとすれば、オーストラリアのキャラバンパークの管理人です。

これは半年です。

おそらくこれを塗り替えるであろう仕事の歴は

10ヶ月・・・地域おこし協力隊

8ヶ月・・・郵便局の配達(現在進行形でしていること。クビにならなければそうなる予定(笑))

という感じです。

韓国では海外滞在の経験っていうのはものすごく重宝されます。それとは正反対だなっていうのが感想であり全てです(笑)

帰国後に僕がしたこと

2013年 9月帰国

その後は一ヶ月ほどはフラフラしている。というか、アニュエーションの申請を準備していたために働かなかった

2013年 10月 せどりを本気で始める

その後、翌年の7月までせどりをやるも月商マックス60万の壁に阻まれ辞める。モノに囲まれる生活が嫌で、それとお金を使わないといけないので、お金を転がすためにお金を使うことが虚しくなってきたので辞める。

2014年 9月 起業塾に血迷ってはいる。この時期同じくして起業詐欺にも合う

結局ダメでそのまま終わり、お金がなくなり終了。

2015年 3月 仕方なく工場派遣を始める

2015年  9月 結局商に合わないのとミスが多くクビになる+工場が移転して派遣切り

2015年10月 島根と鳥取に行く

2016年 4月 スキー場のバイトを経て鳥取への地域おこし協力隊に行く。

その時の記事(メインブログ

2017年 1月 移住に挫折してフラフラする

共生舎ニートの日、などを経て四国のお坊さんに会いにいくという奇行をする

2017年 6月 クリエイター科の職業訓練を受ける

2017年 12月 訓練終了

いかが僕が作ったサイト+ずっと書いているブログのサイト。ワードプレスのテーマを初めて作るということに成功する

メインのブログ

ワーホリ帰国からのアラサー男子のライフスタイル構築記

職業訓練で作ったホームページ

Working Holiday in Northern Territory

豪麦酒!!

オーストラリアワーホリアル!仕事と生活の仕方

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そしてその後は英語の維持をするためにちょくちょくワンコインレッスンに通うもそんなにやりたいことがなく、フラフラする。

2018年 2月の中旬に郵便局の配達のアルバイトの求人を見つける。午前中だけのバイトだったので応募する

現在に至る

というような感じです。

今後の進路

2018年 9月 バイトを辞める

8月の上旬に出るであろう愛媛のみかんアルバイターの求人に応募する

10月上旬  ターンズの空き家リノベーションに参加する

11月上旬  愛媛のみかんあるバイターで愛媛に行く

その後は3月くらいまでこの仕事をする。

そのあとは共生舎で節約しつつ生活するか、農作業リレーで富良野に行くかどうかはその時決めます。

できれば四国から出るのはだるいのでなんかないかな?とか思いますけど

僕が望む生き方とは?

履歴書を書かない

職場に辞めるという必要がない

定期的に仕事を辞めれて始めれる季節労働をループさせる

自分の収入源も並行して作ることが出来る生活

年末調整は(確定申告は)自分でする

ずっと同じ場所にいない

自分の拠点を持つ

というようなもの

あとは自分の生活をネタにブログ書くということくらいかな?あとはユーチューブの動画とかもとっていけたらいいよねって思う

やはり工場派遣とかでクビになったり、工場が移転していきなり仕事内ですとか嫌だし、同じところにずっといるのもいや。

四国の理由というのは、季節の仕事が多いということと、四国のお坊さんのお寺の布団を干さずして出てきてしまったから今度こそ布団干すということをしたいから。土地のインスピレーションはなんか自分にしっくりきたから。

こんな感じ

ワーホリはなんだったのか?

生き方を見に行ったっていうだけのことかもしれない。

青年海外協力隊に二度落ちてその埋め合わせという感じで行ったのがオーストラリアワーホリです。別にそんなものは大義名分足りえないだけど。

最初にいったセシルプレインズの製材所

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二度の倒産から立ち直っている最中で、三度目の正直で運営しているこの製材工場

シドニーのヨートファーム

SANYO DIGITAL CAMERA

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こんな感じのことをやったことからか、今はDIYがしたいです。

このオーナーのマイクさんも羊毛農場を経営していたんですが、化学繊維の登場により、価格競争で勝てずに一度倒産して出稼ぎにメルボルンに行っていますその10年後、戻ってきて今のよーとファームを作り、ウーファー立ちと「協力することでこの場所を作っています

砂漠のど真ん中にオアシスを作ったイアン

SANYO DIGITAL CAMERA

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この人はもともとアボリジニに育てられたというユニークな経歴を持つ人。英語とアボリジニの言葉がわる特殊な一面も持つ

3歳前後の時に生母が他界し、アボリジニの叔母に育てられ、仕事はアボリジニの人と一緒にらくだなどをとって暮らしていた。

20の時にお金を貯めて他人の墓に間借りする形で埋葬されていた母の遺骨を取り出し、母だけのお墓を作った人。

今でもアボリジニの人たちのために学校を作って運営したり、アボリジニの人たちのためにキングスクリークステーションを運営して、その売上の一部を学校に寄付している。

そして自らも冒険をするということをやっています。

僕が影響を受けた生き方、本当にすごい人たちです

そういえばこんな感じの生き方に心打たれたんだなとか思いました。

こんな感じの生き方を2018年11月からスタートさせます

帰国は2013年 9/6にちです

もう5年の月日が流れてしまっていましたね。

この続きはぼんやりとメインのブログで綴っています

では、このあとはテキトーに写真とか、ブログ記事を移動した時に書ききれなかったことを継ぎ足しで書いていきます。

僕のワーホリと帰国後はこんな感じでした

僕ののように情けない帰国後をする人もいれば、帰国後に英会話教室を立ち上げて独立した人もいる。それと旅人を経て人並みに生きている人もいます。

それぞれです

行くか行かないかはあなた次第。

くすぶっているなら、行ったほうがいい。

でもそのくすぶりを消せるなら消してワーホリを忘れたほうがいい。

いつまでもこころのにつっかえたものを秀るのは良くないから

そして最後に、もしこの記事を読んでいるあなたへ

あなたにも綺麗な虹がかかりますように

もう一回やり直したいな、ワーホリ!

でももう無理だ!

みんな頑張ってね!!

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