■ブリスベンからシドニーのWWOOF Yurt Farmへ移動。

本当に何度思い出しても僕はこの場所とマイクさんが大好きです。

ブリスベンの製材所の仕事を3ヶ月くらいして、それなりに貯金ができたので、あえてWWOOFのファームにきました。

セカンドビザの取得のための日数を稼ぐのと、なんとなく惹かれるものが直感的にあったのでここを選びました。

■シドニーのヨートファームについて「Back To Baces」に基づいた野外教育をするところ

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ここのオーナーのマイクさんは「ミックスファーム」とよく行っていました。実際にこのようなカテゴリがあるのかわかりませんが、ここは「なんでもするところ」という意味です。

家畜がいて、

小屋(cabin)があり、

湖もあり、ここでカヌーを漕ぐことができます

そして羊の毛を刈る前に、胃の中の虫を下す薬を注入します。

自分たちで使う予定の巻も広大な敷地の中から拾ってきます。日本の野外教育のスケールではないです!フィールドが広く、セクションごとにマイクさんが区切っていて、それを覚えるまでが大変。

雨が降ると洪水が所々で起こって浸水したりもする

オーナーマイクさんの歌を歌う催し

奥さんのめちゃくちゃ美味しい料理

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というようなイベントが度々起こるこのヨートファーム。ここでセカンドビザの日数をカウントしていました。ここはドラマチックな場所で、この時ほどもっと英語がわかったらな、って思いました。

ウーフもただ過ごすではなく、ちゃんと英語を話してその人のバックボーンがわかったらもっと面白くなると思います。ウーフで感じたことを写真とともに書いていきます

■マイクさんも実は順風満帆ではなく、羊毛の農場を倒産させたという経験がある

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僕が二か所目に行ったシドニーのウーフ施設「ヨートファーム」。ここはマイクさんが運営する野外体験のキャンプ場。

ここの合言葉は[back to bacis]基本にもどるということ。

便利になりすぎてしまった今の時代に必要なものだともいます。

マイクさんの口癖は「ホワイトワーカーにばかりなりたがる人が多く今必要なのはブルーワーカーなんだ!」っていつも言っていた。

そんなマイクさんがここのyurt farmを作ったのはおよそ30年ほど前。

もともと羊を飼って羊毛を売ることで生計を立てていて、マイクさんが30代くらいの時にちょうどか化学繊維が市場に出回ります。

この化学繊維のコストパフォーマンスに羊毛農家はついていけず、価格競争の果てに、マイクさんは一度、この農場を閉鎖せざるを得なくなります。

この化学繊維が登場した当時は、羊毛を売って生計を立てていた農家はほとんどすべてが倒産したとマイクさんは教えてくれました。

時代背景があって一旦その農場を閉鎖し、キャンベラへ生活の拠点を移しました。

当時飼っていた一匹の犬とともに。

この一匹の犬を絶対に連れていくということが本当に好きなんです!僕が当時働いたところのOZは大抵がイヌ派でした

英語を勉強しておくとこう言う込み入った事を聞くことができます。やはり英語が話せない人たちを労働力として迎え入れないとやっていけないということは、オーストラリアでは仕方のないことで、英語がどれくらい話せるかで、マイクさんもその人との距離を決めているということも教えてくれました。

◆キャンベラで満たされない日々を10年送った後、また農場へ戻る

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このキャンベラでの日々は地獄といっていたマイクさん。毎日デスクワークで同じことの繰り返し。それがたまらなく苦痛だったといっていました。

パソコンと向き合うだけの日々でめがつかれ、

単調な作業の毎日で何のインスピレーションもなく、

ただ日々が過ぎていくだけの日常の中でマイクさんは自問自答をします。

「これが自分の人生なのか?」

というようにいつも考えていたといっていました。

それに答えを出したマイクさんは貯金もなく、明日の生活もままなるかどうかもわからない状態でついにその仕事を辞めて10年前に閉鎖した自分の農場へ戻りました。

このときの話を聞くと[kicked to start my life!]といって、

とっとと自分を始めたんだって言ってくれました

ちょっとマイクさんは独特の世界観でものを言うので少しgoogle翻訳では正確な意味が出てきません。おそらく当時の僕のリスニング力がないのでスペルとか間違っています。

今思えばちゃんともっと聞けていたら・・・って思います。

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◆キャンベラから自分の在り方を信じて農場へ戻る。しかし家畜はいない、羊毛も売れないという手詰まりの状態からアメリカにボランティアをしに行く

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また一匹の犬とともに自分の農場に舞い戻ったマイクさん。やはり何かと犬が好きなのと羊を追うときには猟犬を常に飼っていたのでなくてはならないものなのかもしれません。

戻ってきたとしても、はっきり言って手が詰まっている。この時マイクさんは40歳ちょうどくらい。さすがにアイディアがない状態でアメリカに渡ったといっていました。

このときは何らかの建築ボランティアでアメリカに渡ります。

このことで今のヨートファームの小屋を作るきっかけを手に入れることになります。

◆アメリカの建築ボランティアで今のヨート(小屋)の作り方を覚えた

その時の設計図はじつはここ、ヨートファームのグリーンシェッドとという卓球台のある小屋の中にあります。六角形の多角型の小屋の設計図とその製図通りに立てた小屋。それとそれぞれ個性のある小屋たち。そして小屋のいくつかには日本人のウーフの人たちがデザインしたり、歴代の日本人のウーフの人たちが受け継ぎながら完成させた小屋もあります。

上のものは確か日本の中学校の生徒さんが作ったものです。中は浮世絵になっていてめちゃめちゃきれいですし絵がうますぎ・・・

ほんとに中学生ですか??っていうくらいの絵だよね。

あとはマイクさんはなんでかしらないけど江戸川を知っていたんですよ。そこからの子達がこれを書いたんだとか。

しかし今まで書いたことは今の段階。アメリカに渡った段階ではまだまだ金欠の状態。しかも仕事を辞めているからしゅうっぴだってできないし、アメリカに行ってしまっているからお金がない。土地はあるが、資材を買うお金がない・・・

そんな中でオーストラリアに一つの新しい制度ができます。

◆アメリカから帰国し、今のヨートファームを作ろうとしたとき、人で不足を補えるWWOOF制度ができる

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まずオーストラリアに帰国して、このヨートファームをマイクさんが作ろうとしたときに新しい制度がオーストラリアにできます。

それがワーホリメーカーたちの御用達の「WWOOF」という制度ができました。資金不足と労働力不足に悩んでいマイクさんにとってはタイムリーな出来事で、直ぐにこの制度を使ったんです。

徐々にウーフの制度を使って次々にくるバックパッカーたちがヨートの建築を手伝ってくれ、徐々に今のヨートファームができてきます。

そして余談ですがこの語今の二番目の奥さんのユディスさんもウーファーとしてこのヨートに来てマイクさんと結婚します。このときの話をマイクさんは「僕の奥さんは家畜が好きでここにいるんだよ!でもついでに僕のことも好きだよ」って恥ずかしそうに言う。こういう夫婦関係も憧れますね。

意外なことですがここGoulburn一帯のウーフファームはじつは 国際結婚でほぼ100%ウーファーの女性の人と結婚しています(笑)

あともう一つGoulburn一帯のウーフのファームに言えることですが、リピーターが多いのも特徴です。

ここで生活している時にイタリア人の男性が来たんですが、この人はワーホリの滞在中に3度もおとづれているんですね。この男性が来る前にもカナダの3人組の女の子も2度来ています。

ウーフの農場や牧場は基本的に評判が悪いのがほとんどで、お金を払わないで労働力を手に入れることがでるので時給が発生する仕事と同等のことをさせるオーナーは結構いて、カナダの女の子たちもそれが嫌でこのヨートファームに来たって言っていました。

ウーフって結構黒いな・・・

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ちなみにマイクさんの奥さん

まぁ

後姿だけでも北○晶バリにちょうこえーけど・・・( ゚Д゚)

特に鞭を肩に担いでる姿が本当に怖いっす・・・

マイクさんは自分が自分でいられる場所を自分で作り、壁に当たるたびにアイディアを駆使して問題を乗り越えてきました。小屋の設計図からヒントを得て、その小屋を建てながら、キャンプ施設と社会教育施設を両立したmixファームを作りました。

今では毎年必ずここへ来るボーイスカウト、ガールスカウトの団体がいます。その他必ずウーファーのOBやOGが訪れます。こういった人たちとの交流は本当に楽しいものです。

そしてリピーターのほとんどは、歴代のウーファーがワーホリを終えたあとにきます。中には10年も前にきた人もいました。

ウーファーはなぜか卓球が上手い人が多いのが謎。右のイタリア人は、二年間のうちに4度このファームをおとづれるというリピーター。この後はシドニーの造船のバイトに行きました。みんなは ウーフで滞在費をタダで稼いで、その間にどこかに応募をして決まったらそこに行くというスタンスを取っています。

ただウーフの中でも最低限一ヶ月は働けという決まりを作っているところもありますが、基本はただで働いていやる気がないというドライな一面を持っていますので結構バッサリみんな出て行く時は出ていきます。

ヨートファームの面白いところとしては、その人が過去に来ていた時代はできていなかったもの、その時に作っていた場所などその当時のリアルタイムの様子を聞くことができますから、このヨートを知ることができます。

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歴代のウーファーのみんなから好かれるこのヨートファームは本来のウーフの趣旨を反映しているし、小屋を作った人たちの思い入れは色あせることなくドイツやカナダからもたびたびバカンスのたびに訪れる人が多くいます。

このボンファイヤーの時もそういった人たちがよーとのこれまでの経緯を話してくれました。こうやってマイクさんからではなくウーファーからヨートの歴史が語り継がれていきます。

夜は語らう

これは本当二人に愛される場所を作ったから、マイクさんはみんなが大好きだから、マイクさんのことをみんなが大好きと思います。

僕も好きだから。

ガムツリーの歌を絶対にもう一回聞きに行きたい。

■ゲストブック想い出を書いてください!といわれて、少し寂しかった

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ここには必ずおとずれたらゲストブックに名前と何かメッセージを書いていくことが恒例んなっている。

何ページも何冊も実はマイクさんは持っていて大事に持っています。マイクさんも覚えていられないけど、これを見るたびに思い出したいから書いてくれ!って僕に渡したんです。

この時に既にパースでのフルーツピッキングが決まっていたのと、じつは5月はシドニーは冬に入るんですが、この冬の期間はウーフの受付をしないんです。だからちょっと急いで個々を出て行かないといけなくなってしまったですが、これが一番辛かった。

多分ここにずっといるというくらいに居心地が良かったし、ここに来る2か月前、ドイツ人がここにいついてしまって、ドイツから両親が飛んできて無理やりここから連れて帰るということがあった。

こういうこともマイクさんから聞けてよかったと思う。

このヨートファームから去らないといけなかったのは正直痛かった。でも進まないといけなかったし、僕がオーストラリアにきた本当の目的を達成できないので去らないといけなかった。

次はPerthに行ってフルーツピッキングを体験します。

フルーツピッキングの有名な場所「Donnbrook」へ行きます。

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